ブラック企業が生まれる仕組み

ブラック企業による搾取が存在するのは、彼らが鬼畜だからではありません。

簡単な需給の問題です。

労働供給過多になれば、労働賃金が下がる。

誰でも知っていることでしょうから、需給曲線の説明は手短に済ませます。

労働市場では、能力の「高い」人がより高い賃金を受けるのではありません。

需要が高く供給が低い能力を持つ人が高待遇を得ます。

オークションと同じです。

欲しい人が沢山いて、品が希少であれば値段は上がり、欲しい人が少なく、希少性も低ければ値段は下がります。

オークションならそれでも「売らない」という選択肢もあります。

しかし、資産が無く、働く以外に、生活する手段がない人は、働かざるをえません。

そういう人がたくさんいるから、企業はこちらの売りたいという気持ちを利用して、廉価で買い取ることが出来るのです。

労働者自身による値下げゲーム

独占禁止法では、不当廉売(ダンピング)を禁止しています。

不当廉売とは、他の企業が利益を出すこと妨げること目的とした、原価割れするほど不当な自社製品の値下げ行為です。

残念ながら、日本の労働市場ではこれと同様の行為が日常的に行われています。

サービス残業です。

例えば、二人の靴磨きに対してお客さんが2人いるとします。

ここで二人が、価格を1000円に固定して、値下げ競争をしないと合意した場合、高い確率で二人とも1000円得られるでしょう。

しかし、二人とも「二人のお客さんが欲しい」と思い価格競争をしてしまった場合、一人900円と言って、もう一人が800円と値下げして、最終的には1000円以下になってしまうかもしれません。

靴磨き(サラリーマン)が一人値下げ(サービス残業)をすると、お客さん(経営者)はそちらを優遇するようになります。

それに対応して、他の競合他者もサービス残業をするようになり、結局サラリーマンたちは、自分達で値下げゲームをして、自分達の価値を下げてしまいます。

これは価格に限ったことではありません。

「自由」や「尊厳」もダンピングされます

全員が結束して上司の理不尽な要求を飲まないように結束していたら、上司の理不尽を跳ね返すことが出来ます。

「理不尽を飲むのも社会人」「今だけ我慢すれば」と、それぞれが理不尽を黙認してしまった場合、尊厳や自由のダンピングゲームが起き、理不尽はまかり通ってしまいます。

ブラック企業の客

ブラック企業には客がいます。

ブラック企業に金を落としている人がいるから、ブラック企業も存在できるのです。

こうした客は、「自分ひとりくらいなら」「どうせ自分が相手をしなくても他の人が」と考え、ブラック企業に金を落としているのかもしれません。

しかし、ブラック企業の従業員や、搾取されている契約・派遣社員は同時に消費者でもあります。

経済的に搾取された若者に、車や嗜好品を楽しむ余裕なんてありません。

搾取をしている企業、あるいは搾取をしているブラック企業と取引をし、その存在を認めている企業は、自らの顧客を間接的に搾取していることに気付くべきでしょう。

自信がないと、ブラック企業は増える

一般的に、景気が悪くなると従業員の待遇も悪くなるといって良いでしょう。

しかし、そのような状態においても、消費者が積極的にホワイト企業から買い物をしたり、従業員が結束して待遇改善に挑むことで、従業員の待遇悪化をある程度防ぐことは出来ます。

つまり、「人次第」な部分があるのです。

では、「人」はどうでしょう。

個人的な印象になってしまいますが、私を含めた「ゆとり世代」あるいは「最近の若者」「さとり世代」は、「失われた十年」「平成不況」「リーマンショック」「超就職氷河期」など、20年以上ずっと不景気なニュースを聞いて育ちました。

そのため、若い頃から老後のことも考えて貯蓄をするなど、「堅実」「現実的」が良い特徴です。

悪い特徴は「どうせ若者は通用しない」「社会の理不尽はどうせ無くならない」など、「諦観」があります。

そのような世代を育てた前世代に大きな責任があると思っていますが、恐らくわたしたちの世代は後の世代に大きな負の影響を与えるでしょう。

この「負の影響」とは何でしょうか?

それは、従業員待遇の悪化です。

私もそうですが、上司が無能で理不尽でも、あえて逆らおうとは思いません。どうせ若者の意見なんて、「若者だから」という差別的な理由で、耳を貸そうともしないことはわかっています。

そんなことをして、自分のキャリアに傷をつけるよりも、大人しく従っていたほうが得だと知っています。

もっと大きな社会問題に関しても、「どうせ・・・」という考え方があります。

これは理不尽の黙認です。

場合によっては、理不尽が黙認されることで悪化し、更なる理不尽を産むこともあるでしょう。

その結果苦しむのは私であり、私たち若者であり、また私たちの後輩や妹弟、子供たちになるでしょう。

おわりに

私たち若者ができることなんて殆どありません。私

達若者には社会的な影響力なんて殆どありません

私達若者の意見は、「若者の意見」として無視されます。

しかし、それは「何も出来ない」ということではなく、「小さいことならできる」ということです。

例えば、従業員搾取をしているレストランでの食事を控えたり、部署内での理不尽を減らすために、同僚と徒党を組んで、「絶対に譲らないライン」を決めるなど、できることからこつこつと始めてみませんか?