我慢を美徳とすることは、自由をダンピングにすることに等しい
我慢を美徳とすることは、自由をダンピングにすることに等しいことです。
「自分さえ我慢すれば」と、残業をしてしまうと、じょじょに残業が常態化します。
結果的に、自分だけでなく、自分の友人や子供さえも我慢しなければいけない社会ができてしまいます。
そろそろ、こんな我慢大会はやめにしませんか?
残業をすることは、自由をダンピングにすることに等しい
ダンピング(不当廉売)とは、競合他社に不利益を与えることを目的とし、製品やサービスを不当に安い価格で販売することです。
このダンピングとは、企業が提供する製品やサービスに限ったことではありません。
労働者の「労働力」という「サービス」も、頻繁にダンピングされています。
企業内でも、労働市場でも、労働力の「価格競争」が常に行われています。
企業はより安い価格で労働力を購入したいものです。
よって、サービス残業をしてくれる労働者が労働市場で好まれるのは当然のことです。
ここで一人の従業員、無償で残業をした場合、価格競争がより激しくなります。
そして、他の従業員に無償で残業をしなければならなくなります。
より多くの従業員が無償で残業をすれば、さらに強い圧力がかかります。
ほぼ全員無償で残業をすれば、もはやその圧力に逆らうのはほぼ不可能な状態に追い込まれるでしょう。
こうして、他でもない労働者自身によって、労働環境は悪化していきます。
「自分さえ我慢すれば」は「自分さえ良ければ」と同じ
「自分さえ我慢すれば・・」という考えで、チームのみんなのために残業することもあるでしょう。
しかし、私は「自分さえ我慢すれば」を誰がすれば、他の人もそうしなきゃいけない雰囲気が生まれます。
そして、残業を前提としたスケジュールが組まれるようになります。
ここいらで悪しき習慣を断ち切りませんか?
「自分さえ我慢すれば」と言うが、「あなたに我慢して欲しくない」人がいる。
「自分さえ我慢すれば」と言うが、「あなたに我慢して欲しくない」人がいます。
私は父親や親友に、身を粉にするほど残業して欲しくない。そういう人の気持ちを無視しないで欲しい。
あなたがどんなに会社を大切にしても、もしあなたが精神を病んで働けなくなったら、会社はあなたの面倒を見ません。
ただ、クビをきるだけでしょう。
しかし、信頼関係で結ばれた人間は違います。
信頼関係で結ばれているなら、障害者を雇わない父親でも、わが子が障害者になったら、必死で面倒を見てくれます。
「自分さえ我慢すれば」といって、「あなたに我慢して欲しくない」人の気持ちを無視してまで残業をすることは、そんな信頼関係を希薄にしてしまいます。
もし、普段残業をしている人は、定時を過ぎたら子供や恋人に電話をして欲しい。
「仕事頑張って」は、本心なのかを考えて欲しい。
本当は、「無理しないで」と思っています。
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